【アジアの中の日本人】台湾鉄道の父 長谷川謹介

台湾近代鉄道の父

臺北駅前の長谷川謹介銅像

写真は、戦前 台北駅の停車場にあった長谷川謹介の銅像

長谷川謹介(はせがわ きんすけ)

(1855.8.10―1921.8.27 山口県出身)

「縦貫鉄道の設計者」

縦貫鉄道の設計士1899年、45歳の時、「臨時台湾鉄道敷設部技師長」として台湾に渡り、1906年台湾鉄道部部長に就任。

1908年4月20日、台湾縦貫鉄道全線開通、その年の12月には帰国。その後、日本で鉄道院副総裁など勤める。

長谷川謹介写真1

ちょっと注意!

台湾の鉄道は日本人が最初から最後まで作ったと勘違いしている人がいます。

最初に台湾に鉄道を引いたのは、清の劉銘傳(りょう めいでん)という人です。

1887年から1893年までの間に、基隆から新竹の間の約100キロを建設しています。

なお、この点について、台湾からコメントが届きましたので、下に転記します!

劉銘伝 写真1

この事実を知らないで、台湾鉄道の話をすると、台湾の方に失礼ですよ!

なお、台湾にはこの劉銘傳氏の功績を讃えて、銘傳大学があります。

昔は、可愛い子が多いことで有名な女子校だったのですが、男女共学の大学になってしましました。
http://www.mcu.edu.tw

なお、後日Facebookで 台湾のAaronさんからコメントがありました。

これも貴重で重要な台湾の方からの意見なので、転載しておきます。

Arronさん、コメントありがとうございました。

これからも、皆様の貴重なコメントお願いいたします。

Arron先生 Twitterコメント

Fuji3(富吉 桑)
  • Fuji3(富吉 桑)
  • 株式会社アジア市場開発代表。台湾歴35年。著書に『中国ビジネスは台湾人と共に行け』(小学館 2003年)『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』(産経新聞出版2020年)。「台湾から日本をより良くする 原点回帰」がモットー。 
               
    詳しい執筆者のプロフィールはこちら

2件のコメント

  • 藤さん御無沙汰してます!
    その後長谷川謹介が鐵道院副総裁になってますが、総裁は後藤新平ですよ!
    知ってましたか?
    また長谷川謹介を招聘したのも後藤新平であるが、井上勝と呼ばれる長谷川謹介と同郷の先輩の紹介がありました!またその時の台湾総督がこれまた同郷の児玉源太郎です!

  • 曽根さま
    情報ご提供ありがとうございます。
    後藤新平氏が鐵道院総裁だったことは知りませんでした。
    台湾つながりがありますね!
    また、いろいろ情報のご提供、ご指導よろしくお願いいたします。
    FUJI3 拝

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です