Concept

 「藤重太の原点回帰」は、政治、ビジネス、社会、教育、生活、時事評論から成り立っています。

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 「政治」は、国家の在り方、政治の在り方や行政の仕組みについて持論を展開します。

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 「経済」は、日本と台湾 外国とのビジネスの違いとその対策とチャンスについて情報や見解を紹介します。

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 「生活社会」は、社会科学の視点から、家族、少子高齢化、教育、消費者、福祉、医療雇用、環境など生活全般の諸問題について深掘りします。

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 「歴史文化」は、日本と台湾の歴史と歴史上の人物、文化の違いなどを紹介します。

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 「幸福論」は、人間の原点を見直すために、信仰、宗教、哲学などに切り込んでいきます。

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 「時事話題」は、ニュースや時の話題についての私見、そして藤重太の活動について報告します。

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 もちろん、これらは個人的感想であり、私見であります。建設的意見や明らかな私の誤認への指摘などは大歓迎です。皆さまにはよろしくご指導をお願いしたいと考えております。賛同して頂ける方の、ご声援等があれば、励みになります。また、皆さんとご意見交換をしたりする機会が生まれることを期待しております。

ありがとうございました。

令和三年六月吉日

藤 重太 拝

富吉國際企業管理顧問有限公司 台北事務所

 私は1991年に日本に帰国すると、1992年の横浜から鑑真号に乗って中国上海に行きました。上海から無錫、蘇州、杭州、厦門、広州、深圳、西安、北京、揚州、南京など放浪し、中国をつぶさに視察してきました。そして、香港で創業し、1993年に今でも続いているアジア市場開発設立しました。

 

 1996年くらいから雑誌に寄稿する機会が増え、Fax同報通信やメルマガ「アジアの風・アジアの声・アジアの宝」でアジア・台湾情報を発信し続けていました。その後、ブログ「Asia-Hacks (アジアハック)」を2014年から初めて、今回そのリニューアルとして、「台湾 新高山から見た 藤重太の原点回帰」をはじめました。

リニューアル前のブログ「Asia-Hacks(アジアハック)」

 「Asia-Hacks(アジアハック)」を開始する際に、書いたコンセプトはnoteに記録してありますので、ぜひ読んでみてください。https://note.com/fuji3channel/n/n83460d6739f8

 

 アジアハックは、アジアや台湾の情報を中心にまとめていたのですが、同じようなサイトは多数ありました。今回、もっともっと藤個人の思いや考えを積極的に主張するために、サイトのリニューアルを決断いたしました。

リニューアル後の新しいタイトル

 私の感性の多くや思想の基盤には、台湾で体験し感じ学んだものです。そこで、最初に「台湾 新高山から見た」としました。皆さんご存じの通り、新高山は現在 「玉山」と呼ばれており台湾最高峰の山で、富士山より高い3952mあります。日本統治時代に、富士山よりも高い「新しい日本最高峰」の意味で、明治天皇により新高山と名づけられました。

 

 また、明治天皇は新高山を思い三首も御製を残しています。この御製を今でも大切にしている台湾の方も少なくありません。

 

明治34年(1901年)はれわたる空にむかひて思ふかな新高山の月はいかにと

明治42年(1909年)新高の山のふもとの民草も茂りまさるときくぞ嬉しき

明治43年(1910年)新高の山よりおくにいつの日かうつしうゝべきわがをしへぐさ

 

 「原点回帰」は、私の一番好きな言葉です。「変革」「改革」「チェンジ」「維新」などという言葉もありますが、まず歴史を振り返る、自分自身を見つめ直すという意味を私は「原点回帰」に感じています。自分の原点、国家の原点、そして人間の原点。「戻るべき原点を探し、戻す作業をしていきたい」と言うのが私の思いです。そこから、改善を加えれば良い、なんでも壊して変えていくのは、少し乱暴だと思うのです。

 

 そして、今後台湾や日本で人や本と出会い、学び、感じ、知り得た浅学非才ながらの智慧を駆使して、世の中をより善くして行くための「藤重太の原点回帰」を追究し発信したいと思っております。

成田空港から出発 桃園空港から台北までの行き方も調べず、分からず出発
ホテルも予約していない状態!台北到着後に、、、、、

 1986年戒厳令下の台湾に高校を卒業したばかりの私は留学しました。国立台湾師範大学 語言センターに中国語を学ぶためです。まだ18歳の私にとって初めての外国であり、初めての独り生活でした。宿舎は、台湾大学校内の辛亥路三段30号にあった国際青年活動センターでした。多くの外国人がすんでいて、毎日が未知との遭遇でした。街は活気に満ちていて、日本人には特に好意的に接してくれていました。

 

 龍山寺に行くと、右側では水戸黄門のビデオを観ているお爺さんお婆さん、左側では日本の軍歌を唱っているお爺さんの一団がありました。その頃の台湾には美しい日本語を話し、立ち振る舞いの素敵な凜とした婦人や背筋がぴんと伸びた格好いい紳士がたくさんいました。田舎の駅の待合室には絶えず日本語が飛び交っていました。

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師範大学時代の学友と!

 多くの台湾の人から「あんた、日本人か」と声を掛けられ、「家に遊びに来い」「日本精神は素晴らしい」「昔は、泥棒はいなかった、良い時代だった」「今の台湾があるのは、日本人のお陰」と言ってくれる人が少なくありませんでした。「時間を守ること」「道徳感」「根気 辛抱」「紀律」「ものづくり」などは日本人に学んだと今でも言ってくれる人達もいました。

 

 その時、私の中に日本人である誇りが、芽生えたのは事実です。しかも、それは思い込みではなく、台湾に人達から頂いたものでした。数え切れない、素晴らしい体験を台湾でさせてもらいました。計り知れない貴重なご縁を頂いたのです。

台湾での初講演 台北世界貿易センターにて

 約1年後、私は国立台湾大学で国際貿易を学び、4年で大学を卒業するまで、さらにいろいろな体験をさせて頂きました。私立輔仁大学で日本語の教師をしました。民主化運動や李登輝元総統の政治改革を直に感じることが出来ました。

 

 台湾は1990年代から今日まで台湾が政治的に民主化を進め、世界経済での存在価値を高め、経済成長を遂げ、数々の困難を解決、改善してきました。1986年当時は台湾も成長過程で、日本との差を感じていましたが、今では、台湾の方が進んでいると思える点が少なくありません。

 

 そして今では全体的に台湾の人の方が、日本人より幸せに日々暮らしていると感じています。危機の中にありながら、その笑顔や幸せはどこから来るのか。その台湾の秘密を社会制度やシステム 仕組みや政府 行政の在り方、経済の強さのヒミツなどを研究し、知ることは日本人のためにもなると考えています。